ことばと想像力のちからって、すごい。

 

と実感することがあった。

 

わたしの話になるけれど、ちょうど一年程前まで、布団に入って2時間くらい寝られないのが普通で、みんなも大方そうだろうと思っていた。でも医学的には?それは不眠症に入るらしい。ということは、わたしは何年も不眠症だったのだ。

 

結局、その万年不眠症はいろいろなアプローチで改善していったのだけど、どうしても寝られない、という日が今でもある。身体が十分に疲れていない、というときは筋トレや疲れるまで踊ったりするのだけど、考え事が暴走してしまって…というときは、思考を諦めるしかない。もうこの諦めが悪く悪くて。そういう時に、むりやり聴く音声がある。

 

「寝たまんまヨガ」だ。有名なアプリ。YouTubeに一本だけ公式の動画があって、10分くらいなのだけどこれを聴く。寝られなくても、身体の力みが取れるので、85%くらいは疲れが取れてると思う。

 

その中で、「短い言葉で目標を、繰り返し自分に言う」というパートがある。その目標を実現した自分を想像しながら、自分に言い聞かせる。いつも、短い言葉で?一つだけ?絞れない…どれにしよう…とか迷ってしまうのだけど笑、でもなんとか理想っぽい自分の状態をイメージする。このパートってすごく効果があるんだろうなあと、思う。

 

そういう眠れないときの思考の暴走って、たいてい未来に対する不安がぶくぶくと膨張してしまっていたりするのだけど、未来を思うとき、ポジティブに「理想とする状態に自分がなるわ、絶対!」って常に思える人って少ないと思う。だから、ちょっとの時間でも促されて「明るい未来」を思い描くことが、すごく必要、と思って。

 

起きたときには忘れていても、無意識にそのイメージが頭のどこかに残っていきそうだし、寝る前にポジティブな光を浴びたら、少し安心して、眠りに向かえる。

 

ことばとイメージの合わせ技。 そう思うと、ことばとそれに促された想像力のちからってすごいなあと思う。

 

 

ことばとイメージの”姿”を、今日目撃した。

 

さっき、一日を終えて宿に急いでいたら、向こうから歩いてきた人がふと立ち止まった。道の真ん中で、3秒くらい。わたしは近づくし、その人の背後からも人が近づいていて、「なぜここで立ち止まる?どっちに避けたらいい?」と戸惑ったのだけど、よく見ると両手をきゅっと握りしめて、そこにある教会を見上げていた。ああ、お祈りしてるのか、って、びっくりしてしまった。

 

なんだか、その人にとっては自然に、たとえばお地蔵さんの前ですっと手を合わせるような流れで、でもどことなくきちっとした雰囲気で、お祈りをしていて、でもわたしにとっては、とても珍しい行為に見えた。

 

結局その人は、わたしとその背後から来る人のどちらにもぶつからないタイミングで、スッと元通り歩き始めたのだけど、その3秒足らずの空間がすごく濃く印象に残った。彼にとって自然で必要な行為だったんだろう。なにを思ったんだろう、あの短い時間で。

 

 

わたしは祈ったことがないかもしれない。祈るってどんな感覚なのか、わからない。

 

想像でしかないけれど、あのときもし彼が「人が来てるし…」と思って祈らなかったら、すごく気持ち悪いんじゃないかと思う。なにかやり残した、あるいはちょっと不安になったりするのかな、と。わからないけど。

 

昔、英語で世界中の人と文通しようというサイトに登録していたことがあって、とても熱心なキリスト教徒の人に布教されたことがある。死んだけど神にお願いして生き返った人のストーリーを述べて、普段から神に祈ってないとこの人みたいに生き返れないんだよ、今まで知らなかったことは仕方ないから大丈夫、今知れたあなたはラッキーだよ!と言われた。わたしにだってなんとなくだけど死生観はある、勝手に憐れむべからず!と思って無視したのだけど笑、そのとき「宗教って死が怖いからあるのかも」と思った。

 

宗教について無知すぎて、そんな単純なことじゃないよって突っ込まれるかもしれないけど、死への恐怖をどう和らげるか、あるいはよく生きるための指針をどう持つか、どう人生に納得したらいいのか、という人間の深い悩みへの一つの回答として、宗教があるのでは?とぼんやり思っている。

 

もし道端で立ち止まった彼も、彼の宗教を信じることで、その一瞬祈ることで、いろいろな不安から掬い上げられているとしたら。ああ、本当にあの一瞬の祈りは、邪魔してはいけない。

 

祈るときって、なにかことばを述べて、なにかいいイメージを想起している(のですよね…)。そういう意味で、祈る、ということも、ことばと想像力のちからによるものだなあと思った。

 

 

ことばとイメージ、想像力のちからって、すごい。

 

って別に新しい発見でも何でもないのだけど、ぼんやりしていると自分にとって悪い影響を及ぼすことばだったり、想像だったりに吸い込まれてしまって、どうにも身動きが取れなくなってしまったり、する。

 

逆にいい言葉に触れて、いいイメージを多く持つことも可能なわけだ。

 

わたしの好きな文筆家の方が、「ことばはこころの食べ物」みたいなことを言っていて、すごく納得したことがある。ことばってパワフルだ、という認識をもっておくことは、身を守るために必要だと思うし、より楽しいとか魅力的とか優しいとかそういう方に自分を伸ばしていくことも、ことばによって可能かもしれない。

 


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