大学生の自分に言いたいこと|頭でっかちは損。なんにも取り柄がなくたっていい。

4月だし、大学生になる人は反面教師に読んでください。大学生のわたしへ。

「これって私の人生でそこまで必要?」は無駄すぎる

授業の内容が頭に入ってこない…サークル活動に身が入らない…この活動って、そもそもそこまで必要?って、大学生って急に自由になるから思いがちですよね。わたしはそうだったんです。もっと別にやるべきことがあるんじゃないか?身が入らないのは天命じゃないからだ、と言わんばかりの大変な悩みです。

いや、全部全部やっちゃえばいいのです。

そもそも、そもそもという疑問を持つのなら、そもそも、「もっと賢い方法や正解があるのでは」という無意識を疑って欲しい。

絶対という言葉をあえて使っていいくらい、絶対に正解なんてないです。

それに、やる前とかやってる最中に「これは自分の人生に必要か」なんてわからないですよね…たしかに大学受験は必要だと思ってやってましたが、部活とか漫画とかラーメンの食べ歩きとかメイクの研究とか友達とのなんでもない時間とかは、必要だからやる!なんて思ってなかったはず、でもどれが後々効いてくるかなんてぜーんぜん分からないわけです。

 

 

最近、

何者か、ではなく、何ができるか、でもなく、何をしたかにプライドを置く

という考え方に触れて感銘を受けました。なぜ感銘を受けたかというと『何者か、何ができるか』だけを見ていたら、自分で設定したその何者かや何かに至るまでは全然自信を持てないってことになってしまうし、それらは何かの拍子にガサッて消えちゃったり使えなくなったりするからです。

一足飛びに “何者か” になれるわけでもないし、一朝一夕にすごい “何かができる” ようになるわけでもない。なったとしても場面が変われば全然使えないかもしれない。

だから、自分は『何をしたか』だけをプライドにしていけばいいのだ、と思います。逆に『何をしたか』にフォーカスして行動を積んでいけば、その延長線上で”何ができる””何者か”と言い表せるようになっている。

となるとじゃあ、興味の向くこと全部、やったらいいんじゃない?

とはいえ、

全部全力でやれ!後悔するな!と言いたいわけでもありません。

例えば、色々なことに「身が入らない」と言っていた”ぬるい大学生”だった自分には「どれか一つでも極限までやってくれてたら、すっごくいいと思うんだが!」と叫びたい。けどそれでも、このぬる〜い期間も今のわたしにとって必要な経験だったんです。

いますごく後悔したり反省したりしてるけど、それが強力なエネルギーになっているから。

だからまぁ言うまでもなく本当に何でもありなんですが、でも、もし本当はやりたい気持ちがあるのに、効率とか世間体?とかお金とかちょっと自信がないとかの理由を「そもそもそこまで必要あるのか」という無駄すぎる疑問で覆い隠してしまってはもったいないと思うよ、という話です。

大局的に考えられるのはいいことだけど、本質的な問題点から目を逸らしてない?っていう視点もあるといいかも。

 

「先が不確定すぎて足がすくむ症候群」未来予測してる頭は古いよ

けっこうなビビリなので今でもそうなんですけど、何かをしようとすると「こうしたらこうなって、そしたらこうなる、じゃあこうなってこうなるか…」みたいなシミュレーションをほぼ無意識にバーってして、足がすくみがちです。

これ、友達でもいて、はたから見ると「やってみないとわからないからやれば?」って思うんですよね〜分かります、でも本人は真剣に考えているから、なかなか動けない。

でもそれって…その一瞬で作り上げた未来予測に自信があるの?と問いたい。

例えば、何かをしようと思い立つ(A)→調べる(B)→成功した人に会う(C)として、AとBとCそれぞれの段階でたてる未来予測が全部違ってくる可能性って十分ありますよね。

直感は大事かもしれないけど、今までやったことないことに挑戦するときは、今の自分が考える答えとか未来予測とかって全然当てにならない、と思う。

次の瞬間には、今の自分の頭は古いんだ、という感覚がしぜんかなぁと最近思います。

 

「周りより出来ないのならやる意味がないのでは思想」は根深い

前職の先輩とこれですごく共感して可笑しかったのだけど、「周りより出来ないのならやる意味がないのでは思想」は意外と持ってる人多いんじゃないかと踏んでます。いない?

言葉にすると、いや世界狭いな…とか、負けず嫌いすぎる…とか思っちゃうのですが、この思想の根深いところは「周りより出来る自分にしか価値を見出せない」という点だと思います。

運動ができるとか、外見がすごくいいとか、勉強ができるとか、おもろいとか、学生時代にわかりやすい指標で高く評価されてきた人は結構あるんじゃないかなぁ。わたしの場合は英語だけはできるというポジションで(その他の教科は赤点とか普通に取ってた…)学校を生き抜いてきたのだけど、そういう”勝負所”は確実に抑えなければ、と思っていたフシがあります。

でも大学に入ったらそれが機能しなくなりました。周りが自分と同じかもっと高いレベルの英語力を持ってるし、英語以外にわかりやすい”勝負所”を持っていなかったから。それでなんか全体的に戦意喪失しちゃった時期があります。上で言った「環境が変わると”何ができる”も使えなくなっちゃう」現象ですね。この頃はもろ”何者か””何ができるか”に偏って自分を評価していました。

正直、何も取り柄がなくてもいいんです、別に。

ものごとをみる時の指標が、すごく少なかったなぁ、世界が狭かったなぁ、と思います。向上心があるのは良いけど、そんなこと言ってたら何も取り組めなくなる〜

自分は何をやっても中途半端にしかできないし、存在意味あるのかな…って思ったら、この本を読んでみることをおすすめします。有名すぎるけど、又吉直樹の『火花』。ピラミッドの頂点にいる人が目立つけど、目立つほど高いということは、その下に無数の一番になれない人たちがいて、その人たちがいるから一番がいる。一番じゃない立場の重要性を、すごく愛を持って語られているなぁと感じました。

 

さいごに

結局おもいっきり振り切ったらいいと思う、どんな過ごし方をしても後々にどこかで活かすことはできる、という話でした。わたしの大学時代の3大病魔は

✔️「これって私の人生でそこまで必要?」
✔️「先が不確定すぎて足がすくむ症候群」
✔️「周りより出来ないのならやる意味がないのでは思想」

でした。頭でっかちで自己肯定感低すぎですね。

特に学生時代に教科書通りに生きてきた人は、予め決まったゴールに向かって取り組むことには慣れてるけど、足元から築いていく感じには慣れてないんじゃないかなと思います。わたしは築いていくイメージさえ全く分からなかったです。し、今も慣れません。

でも正解はないし、自由だし、これからの時間を自分好みに謳歌するには、足元から一つずつ築いていく、積み上げていく、というイメージが合ってるのだろうな、と最近すごく痛感しています。

何かの参考に慣れば幸いです。春だからといって無理はしないで、ぼちぼちいきましょう〜:)


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